似非科学を暴きたい

大げさな宣伝はえてして真実を隠しています

検索技術の進化と課題:インターネット時代の情報過多

AIも使いようかな?

 

今の時代求められているスキルの1つに検索技術があるだろう。

インターネットのない時代、それは専門家に聞く、図書館で調べるくらいしか頭に思い浮かばなかった。

それが、今やインターネットでググれば何でも答えが出てくる時代、むしろ、答えが多すぎて取捨選択ができない。

 

今は見栄えのいいサイトや、検索されやすいように上位に登場させる技術、そして、逆に本当かどうか分からないように、またサイト運営者が誰なのか分からないようにする隠す、騙す技術も相当上がったように思う。

 

ちょっと気になったフランスの会社があり、気になったので調べにいったら、その会社宣伝しているような会社ではないし、登記簿見たら、日本人が責任者になっている。研究所があるとかいてあったから、フランス語で見学したいので場所を教えて、とメールしたら、半年経っても返ってこない。ならばとGoogleマップでその会社や研究所の住所を探しに行ったら、???

なんじゃこりゃ。

 

日本語のサイトはとても素晴らしいのに、実態がない。そんな会社から流通している製品を有難がって買っている大勢の日本人。

フランス本国で売っていないのに、なぜかちゃっかり日本では大好評と売られ、製品に使われている成分の宣伝内容はむちゃくちゃ。嘘吐きまくり。

 

調べれば簡単に分かることなのに、どうなってんの?

 

物はその本質じゃなくて、誰が伝えてくれるのかで売れるのか。その誰がちゃんとわかっている人なのか?

 

スタージョンの法則」:世の中の90%は、クズである。

 

確かに価値のあるものを見つけるのは難しいが、必ずある。得てして価値あるものは意外と地味。

健康食品の誤解と現実

口から入れて体内で栄養素として消化、分解され、活性酸素を中和するのが抗酸化物質。

口から入れて、体内でとシグナル伝達の結果として作られのが抗酸化酵素

 

「酸化ストレス」という言葉が広まってきて、これに対抗するために、この2つの違いを理解することなく、大げさな説明がされているのが、抗酸化物質。

 

とある企業は出来もしないのに、嘘を並べあたかも抗酸化酵素のように働く食品(栄養素)を買い込ませ、非常に不誠実なことをしている。

これは会社、というよりも単に金儲けのために行っている一部の人たちのマネをさせて、誠実な人を巻き込んでやっていることが紛らわしい。

 

野菜にしろ、果物にしろ、そこから取り出した成分が簡単に人の抗酸化酵素を作り出すように働きかけるというのは自然に考えればおかしいだろう。

それなら、その産地、その地域、またはそうした物を摂っている地域のかたの健康状態や健康寿命は長くなるだろう。

 

いかにも信頼性の高いかのようにふるまい、大した論文でもないのに価値があるように見せかけ、そして、ビジネスチャンスという言葉で人を煽り、結局なんの足しにもならないものを高い値段で買わされる。

 

調べれば簡単に分かることも調べようとせず、有りもしない理論や効能を横文字で表現することで、誤魔化している商品がどれほど多いか。

 

医薬品ですら、過去に製造されたものが最新の分析で効果なしとされたものが一定存在することを見れば、思いつきで作られた健康食品がそんなだいそれたことをできるはずない、と普通に考えれば分かる。

 

すべての製品が粗悪とは言わないが、特にネットワークビジネスの製品はひどいな。

高かろう悪かろう、というところにいい加減気づいた方が良いだろう。

 

具体的に会社や製品を挙げたいが、騙す気マンマンの人たちは、よく人を自分の主観で勝手に評価しがちだから、そこからも気づけるかも。

メディアと情報

ビートたけしは、暴力的な映画を作成していることに対し、批判的な意見を受けたが、その際、お涙頂戴の映画が沢山作られているのに、なぜ世の中は思いやりのある良い社会にならないのか、と言った。

 

なぜ、これほどまでに健康情報、体に良い食べ物、医療が発達したにも関わらず、人は健康に長生きするのが昔より簡単になっていないのか。最近の壇蜜さんの言葉が沁みる。

 

整体とかに行くと、「良くなった感じでしょう?」と言われると気の弱い自分は、「そうですね」と答え、2度と行かない。「すごく体感の出る商品があって、使ってみて」と言われ、同じように気の弱い自分は何も感じないのに「なんか体がぽかぽかしてきた」みたいな返事をする。

 

要はサービスや製品で本当に意味のあるものはほとんどなく、人間関係の中でプラセボ的に思い込まされるものが大半だと考える。それほどまでに効果のある、意味のある製品が巷に溢れていれば、こんなに整体や病院、そして薬局の健康食品が次から次へと出てくるわけ無いだろう。

よく研究論文でこの成分は凄いと書かれている、という話をしてくる人やメディアがあるが、りんご丸ごと一個や、人参丸ごと、トマト丸ごとの方がよっぽど凄いことには触れない。

それだけを取り上げるとあたかも凄い!という錯覚を起こさせるが、特定に栄養素だけで人の体がうまく機能するわけでもなく、また、分子栄養学という一見まともそうでも、中身はなんちゃって学問に医療関係者すら惹かれるこの時代、自分の身体を守るためには、信頼性のある情報ソースをいかに持っているか、が大事だね。

コロナがめちゃ流行っていたときに、これは効果がある、と色々言われていたものが、結局その後本当に効果があったのか検証されず、言ったっきりの日本社会。検証、反省しないのは日本によく見られる現象なのだろうか。

自己成長とビジネスの葛藤

日本では不安定な社会となりつつあるなかで、リスキングという学び直しについて聞くことが多くなってきた。様々事に興味関心をもっていきるということは素晴らしいことだと思う。

 

ただ一方で、学ぶという分野の中で、違和感を感じざるを得ないものもある。

 

社会では商品販売に限界を感じると、次に人は心をビジネスの対象としだした。それは、仕入れもいらず、製造もいらず、そして、在庫もいらない。まさに口先だけで成り立つ、コスパの良いビジネスになった。

自己成長、知識獲得、自分を見つめる、様々な表現で、自分の強み、弱み、そして、自分に足りていないものは何かを常に考えさせることで、時に2次的に「役にたつグッズ」などとして様々なものの効用を訴え、中には強制的に買わせるような手法も存在する。

 

背後には不安、恐怖、そして、自身に依存させる心理テクニックなどを駆使し、あたかもそれで人生が変わる、そして、安心した人生がおくれるかのような話をする。

 

更に最近ではコーチングなるものが幅をきかせ、何かとアドバイス、そして、あなたの人生を変える、人生を変えるにはメンターが必要なるなどの意見が様々な人から聞こえてくる。

しかしながら、すでにアメリカでは、メディアはこんな感じでコーチングは21世紀最大の詐欺だと報じている。

 

(2019年4月15日の記事) https://medium.com/@chrisnikol/is-life-coaching-possibly-the-biggest-scam-of-the-21stcentury-574fb9400067

 

自立心が弱く、権力になびき、集団の顔色を見て行動する日本人には依存させてくれるこの手の手法は最適であろう。

 

「自分の人生は自分で創造する」と言いながら、各種の心ビジネスが人の心の自由をある意味、一方向に意識づけすることに違和感を感じる。

 

自分自身と会話する。答えが出ないことも自分に問い続けることが大切だろう。

あまりにも考えさせられることが多く、この1度だけでは考えを述べられないが、自己啓発コーチングで本当に幸せになれた人はいるんだろうか。

 

否定すれば自分がやってきたことを否定するのでほとんどの人は否定しないが、そもそも各種セミナーで話している人が幸せに見えず、何か分厚い鎧をまとって大した人物であるかのように自分を見せようと頑張っている姿を感じるのは自分だけだろうか。

 

「水」の真実とビジネスの闇

人の健康の話題ではまず出でくる「水」の話

水は不思議な液体だ。化学式で書けばH20と非常にシンプル、しかし奥が深い。

水のような性質をもつ液体はそうそうない。人の命にも大きな影響を与えている。

必要不可欠であることは間違いない。

 

「水」そのものに価値があるのだが、そこにつけ込んで、いわゆる「機能水」とよばれるものが多種多様でている。また、◯◯の水、水素水、ミネラル水など、いかにも良さそうなものも溢れかえっている。

 

良い言葉をかけると良い形の結晶になり、悪い言葉をかけると崩れた結晶になる現象なども言われているが、はっきりいえば、科学的にはありえない。信じている人にはこんなことを言っても、話にならないし、見えない力があるから、とか、科学では証明できないこともたくさんある、と反論される。

 

科学は再現性と、反証可能性を必要としている。一部成功したところだけを見せ、そしてまた、反論を許さない完全性にこそ、オカルト的要素を多分に含むものだ。

 

ただ「水」の素晴らしさを認め、そこに理由を求める必要もなければ、もったいぶって◯◯水のようなどうでもいい価値観をくっつけて人に紹介するものでもないだろう。

 

「水」のありがたさに感謝し、何かを加えるのではなく、地域地域で育まれ、供給される水をただ使う。しいてはその水を生み出す自然環境に何かを加えるのではなく、逆に人間が不必要に何もしないことが大事ではないか。

 

水ビジネスは、善意と悪意が入り乱れている。

特別な水など存在しない。

科学と量子力学の関係

量子力学という学問がある。

 

頭の良い方が知識と分析と推測を駆使して研究されている分野なので、そうした見方はあるのだろう。ただ、全てにおいてそこまで知識や分析力のない自分にとって、半信半疑であることは否めない。

 

ただ、それにのっかって、どこの誰かが分からない人が、何でも「量子力学的には・・・」と言われると、とたんに胡散臭くなる。

 

分かってないのに批判をするな、と言われるだろうが、そういう方の話を聞くと、では

 

量子力学とスピリチュアルの違いは何か?

量子力学と宗教の違いは何か?

量子力学似非科学の違いは何か?

 

と考えてしまう。

 

物理学と科学では見解は違うのだろうが、科学において重要視される「実証性」や「再現性」そして、「反証可能性」を証明することができるのだろうか。まあ、純粋な量子力学ならそれも可能だと思うが。

 

素人目からみても、その言葉を使っていかにもそうな話をする人には気をつけたい。

単なる分からない、見えないことをうまくごまかして、情報弱者を騙し、真面目な顔して何かを売りつけたい、と見えてしまう人が結構いるように思うのは自分だけだろうか。

安定・安心から失われた社会へ

昔に比べると周りの環境が悪くなっていると言われる。

これは、よりストレスを受けやすい、という意味らしい。

では、昔の方が生きやすかったのだろうか。

 

今のような便利さはなく、食べ物に関しても今のように多種多様ではなかっただろう。そして、労働環境も規制などゆるく長時間労働は当たり前、人間関係も多分今よりもっと濃かったと思う。交通事故も多く、医療もそれほど進歩していなくて、今なら救える命も救えなかっただろう。そして、個々人の自由も偏見と思い込みなどによりもっと制限があっただろう。

 

なのに今の方が過酷と言われる。

 

昔、昭和の時代、それは良い方向に変化できる、という夢や希望、そして、安定・安心という位置が今よりもっと明確だったからではないか。

 

自由度は今の方が明らかに高い、と思う。しかし、先の明るさを感じない。

いつも騙されているのではないか、という猜疑心が社会に溢れ、人を信用しにくい社会になってしまった。

 

小学生が登下校時に見知らぬ人から言葉をかけられるだけで、不審者扱いされ、下手をすると警察に通報、ということからもそうしたことが感じられる。

 

人を騙すテクニックが高度になり、また、分かりにくくなった。

情報もまたそうしたことを大幅に含むようになってきた。

「今だけ、金だけ、自分だけ」人のあり方と企業のあり方が問われている。