似非科学を暴きたい

大げさな宣伝はえてして真実を隠しています

メディアと情報

ビートたけしは、暴力的な映画を作成していることに対し、批判的な意見を受けたが、その際、お涙頂戴の映画が沢山作られているのに、なぜ世の中は思いやりのある良い社会にならないのか、と言った。

 

なぜ、これほどまでに健康情報、体に良い食べ物、医療が発達したにも関わらず、人は健康に長生きするのが昔より簡単になっていないのか。最近の壇蜜さんの言葉が沁みる。

 

整体とかに行くと、「良くなった感じでしょう?」と言われると気の弱い自分は、「そうですね」と答え、2度と行かない。「すごく体感の出る商品があって、使ってみて」と言われ、同じように気の弱い自分は何も感じないのに「なんか体がぽかぽかしてきた」みたいな返事をする。

 

要はサービスや製品で本当に意味のあるものはほとんどなく、人間関係の中でプラセボ的に思い込まされるものが大半だと考える。それほどまでに効果のある、意味のある製品が巷に溢れていれば、こんなに整体や病院、そして薬局の健康食品が次から次へと出てくるわけ無いだろう。

よく研究論文でこの成分は凄いと書かれている、という話をしてくる人やメディアがあるが、りんご丸ごと一個や、人参丸ごと、トマト丸ごとの方がよっぽど凄いことには触れない。

それだけを取り上げるとあたかも凄い!という錯覚を起こさせるが、特定に栄養素だけで人の体がうまく機能するわけでもなく、また、分子栄養学という一見まともそうでも、中身はなんちゃって学問に医療関係者すら惹かれるこの時代、自分の身体を守るためには、信頼性のある情報ソースをいかに持っているか、が大事だね。

コロナがめちゃ流行っていたときに、これは効果がある、と色々言われていたものが、結局その後本当に効果があったのか検証されず、言ったっきりの日本社会。検証、反省しないのは日本によく見られる現象なのだろうか。